本の森/音の海

本と音楽についてのノート

片山杜秀「歴史という教養」

 

歴史という教養 (河出新書)

歴史という教養 (河出新書)

 

 止むことのない精神の運動としての「温故知新主義」

 

このところ片山杜秀の著書が立て続けに刊行されています。平成を論じた「平成精神史」、クラシックの作曲家を通して世界史をレクチャーする「ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる」、その日本の現代音楽版ともいえる大作「鬼子の歌」など、どれも読み応えのあるものばかりです。

 そして目下のところ最新刊であるのが「歴史という教養」。この本はいわば片山流「方法序説」といえるでしょう。歴史にきちんと向き合い、それを生かしていくにはどうすればよいのか?という難問がここでは問われています。この難問に対する片山の出した答えは「温故知新主義」。なんだ当たり前じゃないかと思うなかれ。歴史を学ぶことで、過去とは異なる新しいできごとが起き続けている、この現在そして未来に対処すること、すなわち「温故」を生かして「知新」に賭ける。その力を養うためには、いくつかの落とし穴があるのです。

 その例としてこの本で片山があげているのは歴史に学ぶ姿勢を保ちながらも、ドラスティックな変化を拒絶する「保守主義」であり、手に届かない夢を過去に投影する「ロマン主義」であり、瞬間に熱狂する「ファシズム」などです。
また、全ては繰り返すとうそぶく「反復主義」、どうせこうなると思ってたと開き直る「予定説」、いつか歴史が終わってユートピアがくると信じる「ユートピア主義」などのニヒリズムも「温故知新主義」とは似て非なるものとして退けられます。

こうした数々の陥穽から逃れるためのヒント、歴史を捉える「史観」のパターンが本書の後半で語られます。これらについてはぜひ本書を手にとって確認して欲しいところ。

 将棋好きの私が思うに「温故知新主義」は将棋に似ているところがあります。歴史とは将棋でいうところの「定跡」です。先人たちが試行錯誤して積み上げてきた知恵がそこにはあります。しかし、実戦では必ず未知の局面が現れます。そこから先は自分のこれまで学んできたことをなぞらず、己の読みによって指し手に賭けることが絶えず要求されていくのです。これと同様に、絶え間なく知新に賭け続けていく精神の運動こそが、「温故知新主義」に他ならないのです。